アダルトチルドレン?peach@太郎の性格・怯え続けた生い立ち~現在

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このページでは私の生い立ちや現在について、長々とご紹介します。

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性格

性格はどちらかというと内向的で、一人でおとなしくしているタイプかと思います。クラブにもナイトプールにも行ったことがないので、見る人によっては人生の半分損しているのかもしれません。

一人暮らしの引きこもりです。あと合コンも経験がないです。

4人家族

【家族構成】

  • 父親
  • 母親
  • 弟(4歳下)

弟はでき婚?授かり婚?しています。私は未婚です。

生い立ち

父親がモラハラ気質、母親が統合失調症という家庭で育ちました。ただし感謝はしています。

ほとんど通園してない幼稚園時代

父親が近畿圏を転々とする職種だったため、幼稚園はみんなよりも一年遅れて入園したもののすぐに引っ越し、その後バタバタしていて、転園はしたものの幼稚園には結局あまり行っていないと思います。

転校を繰り返し父親に怯える小学校時代

小学校は3つ行ったと思います。転校先でいじめられるようなことはありませんでしたが、父親に怒鳴られたり罵られることに毎日怯えていました。

母親はいい人とは思いますが、ヒステリックを起こして暴走することが多かったように思います。その結果人は離れていき、孤立します。

私はたまに友達と遊んだり、3個目の小学校では誘われてサッカークラブに入ったりしましたが、父親からいつも、「サッカーはくだらない」「やめてしまえ」といったことを言われていました。

私は結果的にあまり友達と遊ぶこともサッカーをやることもなくなっていき、ゲームばかりするようになりました。しかし父親から「ゲームばっかやってるからお前は馬鹿なんだ」「もっとまともな子供が良かったな」といったことを言われるようになり、私は無感情に何もせず、ときに何時間もずっと壁に向かってボーっとしているような生活になりました。

ひたすら、何も感じない、嫌なことがあったら我慢するというよりは自分から切り離して他人事のように考える、といったことを無意識に行っていました。

父親に無理やり食わされ30kg増の中学時代

中学校に入るタイミングでまた引っ越し、小学校6年生の頃とはまた別の県の中学に入学しました。引っ越しは急に告げられたのでかなり驚きました。

私が引っ越し前に友達にお別れすると言うと、父親からは「子供の頃の友達なんかくだらない。そんなもんどうでもいいだろ。」といったことを言われました。そのため結局挨拶なようなものはできず、そのまま引っ越しました。

またこのときなぜかゲーム禁止令が出され、中学、高校時代は家でゲームすることが一切禁じられました。このとき眉毛や髪の毛を抜く癖が付いたのですが、幸い中学入学後はすぐに治りました。

父親が「柔道なら見てやってもいい」と言っていたので、柔道部に入ることにしました。親に認められたいという気持ちがあったのだと思います。

しかしそこで大きな試練がありました。

それは、父親の「格闘技は重量級以外価値がない。後はすべて雑魚でみっともなくて情けない」という価値観です。

これにより、私は毎日吐いても食べさせられ、もう食べられないと言っても「くだならい」「みっともない」「情けない」「そんな細い体で恥ずかしくないのか」などと言われながら嫌々食べる日々が続きました。

結果的に私は中学3年間で体重が30kg程度増え、いつも食べ過ぎによる吐き気とともに過ごしました。ちなみに父親から無理やり高重量のウエイトを使ったスクワットを毎日やらされていたからかはわかりませんが、身長はあまり伸びませんでした。

私は筋トレが大嫌いになり、10年以上やらなかったのですが、数年前からは自発的に筋トレをしています。

部活も進路も父親に逆らえない高校時代

高校は中学と同じ地域の公立高校に進学しました。そこで誘われたこともありアメフト部に入ろうと思い、親に相談しました。すると、「お前にアメフトは無理だ」「くだらない」と言われ、それ以上話はできませんでした。

そして後日何の脈絡もなしに「陸上部にしろ」と言われました。中学時代の話で書いた通り私は毎日大量に食べさせられており、陸上部で走れるような体型ではありませんでした。

しかしこの頃の私には、口答えするという選択肢はありません。

結果的に、私は陸上部に入部します。父親からは、「お前毎日走って何が楽しいの。くだらねえ」「走って痩せてみすぼらしいな」といったことを言われていました。

また勉強面では私は理系科目が得意で、理系に進もうと考えていました。プログラミングに興味があったこともあります。それを親に相談したところ、父親からは「お前が理系なんて無理」「頭が悪いんだから文系にしろ」といったことを言われました。逆らえなかった私は、文系に進みました。

絶望と堕落の大学時代

大学時代の話は少し長くなるので、以下の記事に分けました。

peach@太郎の転職は無職だった

大学を卒業したものの・・・

大学卒業後は、性格的問題から人生に行き詰りました。

大卒無職の完成

私は無職になりました。開き直った私は、東南アジアに初めての海外旅行に行ったりしていました。この頃になると親に対しての恐怖心はなくなっていました。

普通に親ともコミュニケーションを取れる状況です。やはり大学時代に親元を離れていたので、精神的に支配下から抜け出せたのだと思います。

フリーター兼フリーランスへ

私はフリーターとフリーランスの仕事を少しやりながら東京で一人暮らしを始めました。

フリーランスと言ってもこの頃から普及しだした在宅でのライター業務や、本当に簡単かつ最低報酬レベルのプログラミング案件を受託し、勉強しながらなんとかこなすような内容です。

ただしそれだけでは生活が厳しいので、日雇いのバイトなどもしながら食いつないでいました。

この頃は生活の大変さや焦りがあり正直記憶が曖昧なのですが、2年程度こんな感じだったと思います。

なんとか就職!

仕事を探し、SIer(IT業界の業種の一種)にシステムエンジニア(SE)として就職しました。

とにかく年上男性が怖い・・転職を繰り返す

会社に入ったものの、私には致命的な欠点がありました。それは、年の離れた男性に対して無条件に怯えてしまうということです。

話している途中で頭が真っ白になる、年上の男性が近くにいるときだけ極端にパフォーマンスが落ちる、ミスを連発する、といったことがありました。

また一番困ったのは質問などをできないことです。面接などある程度距離感があれば問題ないのですが、一対一で普通にコミュニケーションを取るとなると、恐怖心が出てきます。

相手が何もしないこと、優しい人物であることを頭では理解していても、どうしてもうまく対応することができませんでした。そしてうまく馴染めず転職を繰り返しました。

仕方なくフリーランスに転身

結局克服できず、3社ほど勤めた後フリーランスになりました。そして今に至ります。

母は末期がん、父は心臓が止まり脳死寸前

母親は統合失調症の影響か頑なに乳がんの治療を拒否し、病気が一気に進行しました。早期発見できていても治療をしないと当然進行します。

父親はジョギング中に倒れて心肺停止状態になりました。数か月は脳への影響が大きくコミュニケーションが厳しい状況でしたが、現在はおそらく元に戻っています。

大人になってからは長年両親と距離を置いていたのですが、知らない間にこのようなことが起こっていて驚きました。

母親が亡くなる

2020年6月末に亡くなりました。母親に頼まれて2020年3月頃から私は長期帰省していたため、衰弱していく様子を見守る日々でした。自宅で母親と2人でいるときに母親が倒れていたのですが、そのときの光景ははっきりと脳裏に焼き付いています。

救急車を呼んでそのまま入院したのですが、その後しばらく経って亡くなりました。

母親は亡くなる少し前に、私に「生きてね」と言っていました。言葉の真意はよくわかりませんが、別にいつ死んでもどうでもいい、という考えを少しだけ改め、生きるために行動しようとは思いました。

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